Powered by Six Apart

アクセスランキング

フォトアルバム

最近のコメント

プロフィール

フォトアルバム

老仁

 開かれた心でそのまんま575で交心を楽しみましょうよ、と呼びかけて交心していますが、余りにも幼稚な空想しか交心できないので、独り遊びに耽っています。  楽しい独り遊びがあったら教えてくださいね。  観自在雲雀に心遊ばする   老仁

与命 Feed

2016年6月11日 (土)

『 待ち人の在るが至福よ蓮の露 』 余命をあそぶ交心006rt1001

★♪★ スローラブの道標01良寛さん ★ 01-01至福のめぐり愛 ★

 

Yomeiwoasoburt1001matibitono1w_2





ランキングにご協力くださいね。
おもしろ写真 ブログランキングへ  ありがとうございます。




★ 余命をあそぶ交心006rt1001

――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――

 待ち人の在るが至福よ蓮の露

――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――


 > 良寛歌1112 いついつと待ちにし人は来たりけり今はあい見て何か思わむ

 もう、すっかり、良寛さんは、貞心尼さんの玄牝の門に囚われてしまったのでした。 玄牝の門をくぐって、桃仙境に遊泳三昧してしまうのでした。

 あぁ、待ちに待った貞心尼が来てくれた。この肌触り、この匂い。おぉ、まさにこれが貞心尼だね。このやわらかさ、このゆるやかさ、このあたたかさ、これが愛なんだね。  この愛の中にたゆたうことができて、もう至福だよ。もう、この愛があれば、何もいらないよ。この愛があるから、もう、さびしくないよ。もう、くるしくないよ。もう、このままで、いいよ。いつ、お迎えが来ても、いいよ。この至福のままに、逝ければ、Happyだよ。

   そう良寛さんは、詠んだときから、もう、一途に、貞心尼さんしかいないのですから、貞心尼さんの腕の中で幼児帰り、胎内回帰していくのです。このめぐり愛の至福の時は、出会いの時から始まって、もう、来る日も、来る日も、至福の時を、生きていたのでしょう。いままで天の川に托して夢見てきた良寛さんの愛の初心そしてその愛の結晶が、愛の自然法爾として良寛さんと貞心尼さんのめぐり愛に現成したのでした。

 良寛さんにとって、胎内回帰の日々は、もう、永劫回帰の日々でもあったのでしょう。  生きながら、自然に帰り、命に帰り、浄土に帰り、宇宙に帰る良寛さんを想像することができます。  この世とあの世をつなぐ、幻の回路を創りだしているのかもしれません・・・。


 待ち人の在るが至福よ蓮の露   仁

 謄謄任天無漏路逍遙


★★★  良寛の恋00101『 幻視する愛の彼方に散る桜 』  へもどうぞ!!! ★★★

  

 至福のめぐり愛01-02 良寛貞心尼相聞歌

 貞心尼 われもひともうそもまこともへだてなく 照らし抜きける月のさやけさ     

 覚めぬれば闇も光もなかりけり ゆめ路を照らすありあけの月  

 良寛  あめが下みつる玉より黄金より 春のはじめの君が訪れ      

 手にさわるものこそなけれ法の道 それがさながらそれにありせば  

 貞心尼 春風にみ山の雪はとけぬれど 岩間によどむ谷川の水  

 良寛  み山辺のみ雪とけなば谷川に よどめる水はあらじとぞ思ふ  

 貞心尼 いづこより春は来しぞとたずぬれど 答えぬ花に鶯の鳴く      

 君なくば千たび百たび数ふとも 十づつ十を百と知らじを  

 良寛  いざさらばわれも止みなむ九の毬 十づつ十を百と知りなば  

 良寛  霊山の釈迦のみ前に契りてし ことな忘れそ世はへだつとも  

 貞心尼 霊山の釈迦のみ前に契りてし ことは忘れじ世はへだつとも  

 貞心尼 いざさらばさきくてませよほととぎす しば鳴くころはまたも来て見む  

 良寛  浮雲の身にしありせばほととぎす しば鳴くころはいづこに待たむ          

 秋萩の花咲くころは来てみませ いのちまたくばともにかざさむ

 貞心尼 「恋学問妨」      

 いかにせむまなびの道も恋くさの しげりていまはふみ見るも憂し  

 良寛  いかにせむうしに汗すと思ひしも 恋の重荷を今はつみけり



 歌を詠み交わすなかで、良寛さんと貞心尼さんの命はシンクロし、魂も交わり、おたがいにこころも啓いて、いのちの燃焼になっていくようです。  いのちのシンクロから湧きでる言葉が、こころ模様を映しとって、いのちの源泉にまで道案内していくその道筋を、ぼくらは、この相聞歌を辿ることで知ることができるようになります。



 夏の宵われにも啓けひめ心   仁

 とわず語りのたびのみち連れ



 > 私はあの朝、佐吉に向かってしたように、物もいわず良寛さまのところまで走りより、ひしとそのお軀に取りすがっていた。  涙が目にも咽喉にもあふれて、言葉も出ない。ただただ、良寛さまのお膝に顔を伏せ、両手をしっかり良寛さまの胴に廻していた。泣きじゃくる私の背を、良寛さまはおだやかな掌つきで静かに撫でてくださりながら、  いついつと待ちにし人は来たりけり 今は相見てなにか思はむ  とつぶやかれた。私がそのお声をしみじみ胸にくりかえしていると、つづいて、  むさし野の草場の露のながらひて ながらひはつる身にしあらねば  と詠みつがれた。私はもう感きわまって、返歌などの出るゆとりもなかった。  やや落ちついて、私は手伝って良寛さまに寝床にゆっくり横たわっていただいた。   。。。瀬戸内寂聴『手毬』p262



 病みし身も薫風の手に和みけり   仁

 血のぬくもりのささやき愛語



 > 二千四百年前の印度の釈尊の最期の旅のお姿が思われる。あの尊いお方でさえ、最期の病は良寛さまと同じようなものであった。  激しい下痢に悩まされながら、クシナガラへの旅をつづけられた釈尊の苦しみを思うと、釈尊も良寛さまも、人はこうして病み、苦しみ、糞尿にまみれながら、汚穢にまみれて逝くものだということを、教えられているような気がした。人の世の人の苦しみを一身に代わり受けてくださっているような尊さと有り難さが湧いてきた。    。。。同上p269



 師の受苦を友と語りぬ緑の夜   仁

 こえておのずと笑みの花さく



 > あけ方近くになって、壁ぎわで坐ったままうとうとしていたら、良寛さまがお目をさまされ、  「背中が寒い」  とおっしゃった。しらべてみると、夜具は肩までかかっていてすき間もない。それでも寒いとくりかえしいわれる。  私はつと、掛け布団を持ちあげ、良寛さまの寝床へ軀をすべりこませていた。  背後からぴったり添い臥し、自分の体温で良寛さまの背をあたためた。右手を良寛さまの胴にかけ、重くないようにやわらかく抱いた。氷のように冷えきったお脚に自分のほてっている脚をからませてあたためてあげる。良寛さまはゆったりと軀をくつろがさせたまま、私のすることを何もこばまれなかった。  おだやかで寂かなふたりの呼吸だけが聞こえていた。気がつくと露の鉄瓶のお湯がしゅんしゅんと松風の音をたてていた。  良寛さまの呼吸と私の呼吸がひとつになり、この部屋に人間はひとりしかいないようだった。  「あたたまりましたか」  私はきいてみた。  「うん、縁側で日向ぼっこしているように気持ちいい」  「このまま、眠ってください。朝までぐっすり」  やがて良寛さまのおだやかな寝息がしはじめ、私の呼吸と合わなくなった。私はそっと身をずらして寝床の外へ出た。思わずくしゃみがこみあげてきて、あわてて両掌で口を掩った。  其の夜を境に信じられないほど病状が落ちつき、・・・   。。。同上p275



 寒の魂交わり受苦を忘れけり   仁

 愛語和顔の体の温もり





★♪★ 言葉あそび575交心 ★♪★

★ 言葉あそび575交心rt1004

――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★――

 師の受苦を友と語りぬ緑の夜

――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★――





★★★ 余命をあそぶ交心005rv3103『 朱夏の風心に創れ夢の閨 』 へどうぞ!!! ★★★ 





★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 登録について ★ 。・。・゜♪゜・。・。★



 このメールマガジンに参加して、言葉あそびを楽しんでくださる人は、下記バックナンバーの『登録』欄より、メールアドレスを書き込んで、お申し込みください。  楽しみながら<余命>について考え、<余命>をあそぶ心を養成しましょう。

★★★ 『 「余命」について考える 』バックナンバー へどうぞ!!! ☆☆☆ ♪♪♪ http://archives.mag2.com/0001663094/




---------------------------------------------------------------------- 「余命」について考える 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/

配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0001663094.html

----------------------------------------------------------------------





 ご協力ありがとうございます。  たくさんのご意見、言葉あそびの色々をお寄せいただき、交心広場として楽しんでいただけるとHappyです。

2016年6月 9日 (木)

『 朱夏の風心に創れ夢の閨 』余命をあそぶ交心005rv3103

★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 「余命」をあそぶ交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★

 老老老介護の身にあって、MMを発行するのを怠ってしまいました。  あらためて、継続させてもらいたいと念じます。  内容は、幼稚な言葉あそびの閾を出ないものになるのでしょうけれど、ぼくにとっては初心の一身ですので、よろしくお願いします。

 五木さんの『余命』の問題提起を、仁好みに選んで、関連する意見や問題提起を他の人たちの本や記事から、これも仁好みに選んで、並列し、それらの提起やキーワードを理解できれば理解し、未消化のままでも、仁流に解釈し、仁の<余命をあそぶ>のイメージトレーニングとして、言葉あそびで、自分の心の世界に、あそび広場を創り出していきたいと念じています。

Yomeiwoasoburt0901syukanokaze1w

★ 余命をあそぶ交心005rv3103

――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――

 朱夏の風心に創れ夢の閨

――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――


 昨日は雨。まだ梅雨に入っていないのに、梅雨寒の感じ・・・今朝は、すっからかんの五月空。川向こうの小学校は、昨日順延されて、今日が運動会。絶好の運動会日和ですけれど、親の参加も少ないようです。隣の中学校が授業中なので、あの賑やかな運動会も、音声を落として、とても閑かな運動会になりました。  音は閑かでも、子どもたちは、競技に熱中して、それなりにいっしょうけんめい楽しんでいるようです。それが子どもの天性でしょう。

 ぼくの余命も、子どもに還って、無邪気に、今ここを、せいいっぱい楽しむことです。  今ここに起こることは、何でも、素直に受け容れて、素直に楽しみに変えていこう!  そう念じます。

 さて、五木さんの『余命』から、章ごとに、引用させてもらいます。  まず、第一章から・・・



 『余命』第一章 「余命」を前向きに考える

 ちなみに、第二章 人はどのように死んでいくのだろうか  第三章 人には、逝き時というものがある  第四章 死を避けない。自分の逝く年を決めてみる。  第五章 死をイメージしてみる


 先日、義母が亡くなりました。  2月の白寿の誕生日も自宅で元気に祝いましたが、5月9日に、帰らぬ旅に出ました。  入院していましたが、24日の昼は、介護に来ていた孫娘とおいしいおいしいとお昼を食べました。  そして夕ご飯。相方が介護して準備をし、義母が食べようと口を開けた直後、がくっと首を項垂れました。意識がふっと切れたようです。診察した主治医は、脳梗塞の症状のようです、という。日曜日だったので検査ができず、月曜の検査で、やはり脳梗塞だと診断されました。言語と右側の麻痺で、会話はできませんでしたが、肯きや手の握り締めで意思の疎通はできていたのですが、それも次第に弱くなっていきました。  老衰と重なったのでしょうけれど、少しも苦しむ様子はなく、穏やかな寝息と、微笑みを浮かべたようなやわらかい表情のまま眠るよな状態がつづき、そのままの姿で旅立ち、わたしたちに、<大往生>という道標を遺してくれました。  主治医も、こんなに静かで穏やかな死は珍しいと感心していました。


 さて、ぼくはどんな風な死に巡り会い、どんな風な死に方をしていくのでしょうね・・・  願わくば、義母が遺してくれた<大往生>の道標に倣って、老衰死を迎えたいものだと念じています。  在宅であろうと、ホスピスであろうと、入院であろうと、できれば、明晰な意識を持ったまま死を見つめ続けていけることを念じます。  真似老仁の最期の真似は、子規さんの『病床六尺』にしたいものですけれど・・・


 そのためのイメージトレーニングを楽しむことにします。




 夏の月きみと相見ていざ逝かん   仁

 野も駈け星座渡り歩かん



 01-01 五木『 余命 』p010第一章「余命」を前向きに考える


 > しかし、一般の人にとって、長生きははたして人生の目的だろうか、と、最近しばしばかんがえます。  ある年齢に達したとき人はそれを直観し、自覚する。  「これが自分の天寿だろう」  と、感じたとき、そこで余命という感覚が大きな意味を持つのではないか。  余命を考えることのできる人生は、余裕のある人生です。長生きを目標として、残りの日々を数えることではない。余白のない書物というのは、どこか味気ないものです。余命を考えることは、余裕のある人生といえるのではないでしょうか。   。。。五木寛之『余命』p015

 <余命を考えることは、余裕のある人生といえるのではないでしょうか> 

 <余裕のある人生>といえば、連想することは、<知足>。知足といえば、良寛さんです。  良寛さんは真似の彼方の道標ですから、同行二人の地平に据えておいて、もっと身近だけれど、今までまだめぐり会っていない人とか、ポピュラーな入門書とか、検索とかを通して、死と向き合うスタンスを拾い読みして、言葉あそびさせてもらおうと念います。



 > 01-01-01 さらにマロワは、このテーマに関する、常に対立している二つの大きな学説に触れています。  「まず一つは、生命は偶発事であるとする説。生命はこの地球上にしか存在しない、それはほとんどあり得ない出来事であり、偶然がもたらした果実にすぎないのだと。もう一つは、物質の中にいわば生命を約束するものが潜んでいるという説」  生と死の意味を考える生物学者の回答としては、とりあえず以上のことを提示したいとマロウは言っております。  地球にある元素は他の天体にも存在することが確認されていて、他の天体との違いは物質の「組織化」だけの問題なのだ、と。そして、その結果、生まれた地球上の生命の特徴は、「存続」「征服」「自己表現」「進化」であるとマロワは言います。   。。。嵐山光三郎『死ぬための教養』p026


 この広く果てしない宇宙の中にこの地球にしか生命は存在しないというのは、ちょっと考えにくいし、単純に、面白くないですね。  よその天体の生命の特徴は何だろう・・・と考えた方が、あそび心の言葉あそびには好奇心拡大します。「存続」は欠かせませんね。「征服」は野蛮すぎるから、「共生」にしましょう。同じように「自己表現」も未開の特徴でしょうから、「共振」にしましょう。そして「進化」は知恵の完成した生命の特徴ですから、その知恵の「伝道」でしょうか・・・SFの世界で、地球人よりももっと進化した宇宙人がUFに乗ってきて、地球人に伝道しているストリーでお馴染みになっている発想ですけれど・・・



 「征服」の野望に燃え、その野望の自己表現として「自然征服」「世界征服」を自己表現したヒトラーが出現しました。ローマ時代の英雄達も、あるいは戦国時代の織田信長も、生命の特徴の必然的な現成なのかもしれません。  そして、今、また、新たなる<ヒトラー>が出現して、第三次世界大戦を準備している前兆が横行しはじめています。  「征服」のエネルギー軸を「共生」のエネルギー軸に、パラダイムシフトしなければならない瀬戸際に人類は立たされているような気がしてきます。  「征服」のエネルギー軸をシフトできなければ、核戦争は避けられなくなるでしょう。  今地球上に一万発を超える核兵器が「敵」に向かってにらみ合っているのです。その核廃絶を提唱しに来たオバマ大統領が、いつでも、核弾頭ミサイルを発射できる魔のボックスを携行して来日しているのですから!


 もし、宇宙が愛の成就のために創造され、その愛の成就体として生命が創生されたのなら、人類の知性は、もう、戦争のシフトを平和のシフトへ移行する理念とシステムを実行に移さなければならない瀬戸際に立たされているのではないでしょうか。


 <余裕のある人生>を楽しむためには、まず、何はさておき、<戦争のない世界>を守りぬかなければなりません。  世界に<戦争の放棄>を宣言した日本国憲法を守りつづけなければなりません。


 ただ誓うただただ不戦走り梅雨   仁

 欲も殺しも前時代の産



 >  普通の人たちは、このことを分かっていると私は思います。普通の人はもう戦争を望んでいません。科学の驚異は人の生活を奪うのでなく、向上させることを目的にしてもらいたいと思っています。国家や指導者が選択をするにあたり、このシンプルな良識を反映させる時、広島の教訓は生かされるのです。  世界はここで、永遠に変わってしまいました。しかし今日、この街の子どもたちは平和に暮らしています。なんて尊いことでしょうか。それは守り、すべての子どもたちに与える価値のあるものです。それは私たちが選ぶことのできる未来です。広島と長崎が「核戦争の夜明け」ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのです。    。。。オバマ大統領

 >  核兵器のない世界を必ず実現する。その道のりがいかに長く、いかに困難なものであろうとも、絶え間なく努力を積み重ねていくことが、いまを生きる私たちの責任であります。そして、あの忘れえぬ日に生まれた子どもたちが恒久平和を願ってともしたあの灯火に誓って、世界の平和と繁栄に力を尽くす。それがいまを生きる私たちの責任であります。   。。。安倍首相


 オバマ大統領は、<普通の人たち>の願いとして平和を実現することを約束しました。  安倍首相も、また、<あの忘れえぬ日に生まれた子どもたち>の願いとして恒久平和に力を尽くすと誓いました。


 この約束、誓いを、必ずや守ってもらいましょう。  この約束、誓いを実行しないときは、即座に、責任をとってもらいましょう。



★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 登録について ★ 。・。・゜♪゜・。・。★

 このメールマガジンに参加して、言葉あそびを楽しんでくださる人は、下記バックナンバーの『登録』欄より、メールアドレスを書き込んで、お申し込みください。  楽しみながら<余命>について考え、<余命>をあそぶ心を養成しましょう。

★★★ 『 「余命」について考える 』バックナンバー へどうぞ!!! ☆☆☆ ♪♪♪ http://archives.mag2.com/0001663094/

---------------------------------------------------------------------- 「余命」について考える 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/

配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0001663094.html

----------------------------------------------------------------------

 ご協力ありがとうございます。  たくさんのご意見、言葉あそびの色々をお寄せいただき、交心広場として楽しんでいただけるとHappyです。

2015年11月27日 (金)

余命をあそぶ交心001ss2100『 死に支度 』

★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 「余命」をあそぶ交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★





★ 余命をあそぶ交心ss2101

――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――

余命得て振り返れば空合歓の花

――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――






 ≫ ・・・また、不治の病をせんこくされたが、「あと一年間の寿命」と知れば自分の死を納得するためには、一定の教養が必要になります。一定の教養とは、「死の意味」を知る作業に他なりません。それは極限に置かれた人間の最後の葛藤といってよいでしょう。いかに悟っていても、自己の終焉を納得するのは難しい。   。。。嵐山光三郎『死ぬための教養』



 ぼくは子どもの頃病弱で、十人兄妹産まれた中の三男です。物心ついた時はぼくの上に姉が4人いました。末っ子の男でした。生き残ったのが5人だったのです。5男5女の出生で、5人生き残ったのでした。父は病弱で徴兵検査も丙種だったそうですから家にいて子産みに励んだみたいで、母は毎年のように子どもを出産しています。恐らく栄養失調でしょうけれど産まれても死んでいく。それは戦争末期の田舎では普通の状況だったのでしょう。ぼくの下にも弟がいましたけれど亡くなりました。記憶が薄れるほど幼い時のことです。  貧しい暮らしの中で、ぼくも病弱の子として生き残っていました。親も周りの人たちもぼくがいつ死んでもおかしくないと思っていたといいます。  小学生になって体育の時間も見学しがちで、運動能力はほとんどなく、村の子どもたちと遊ぶのも真似をしてついて行くのが精一杯でした。いつも笑われて、いじめられて、それでも真似して仲間入りして遊んでいました。田螺や泥鰌を捕り、這え針で鰻を釣ったりしてお小遣い稼ぎもできるようになっていました。  クリークで独りで田螺を捕っていて、握っていた杭が折れてそのまま沈んでしまったようです。ぼく自身は何にも覚えていません。向こう岸にいたおばさんが藻の中に浮いている手首に気がついたそうで、子どもが溺れていると小父さんを呼んでその小父さんが飛び込んだそうです。岸に揚げられた時は意識を失っていてもう駄目だと思われたそうですけれど、救い揚げてくれたおじさんが両手をぶら下げて、ぐるぐるぐるぐる振り回したそうです。そしたら水を吐き出して、泣き出したそうです。死なずに、生き返ったのでした。  ずっとあとになって親からそんなことがあったと話を聞きましたが、ぼくが怖がらないようにその話は滅多に聞かせてもらうこともなく、まだいつ死ぬかもしれない子どもとして育てられたようです。それを知っていたので、ぼくもいつ死ぬか分からないと思って生きていました。できるだけ考えないようにしていましたが、20才を越えて生きてはいけないだろうと思われていたし、ぼくももうそうしか考えない人間になっていました。



 余命得て振り返れば空合歓の花   仁

 わが行く末も空なるが好し


 そんなぼくがもう古稀も越えて生き存えています。  06年秋、前立腺癌の手術をすることになっていましたが、待っている間に数値が下がって手術もしないでいいようになりました。13年に脳梗塞で2ヶ月くらい入院しましたが、後遺症も回復して生き存えています。  高校生も生き延びて、未来を期待できない少年でしたが、甘やかされて育って、浪人しながらも大学に行かせてもらって、学生になったら死ぬことばかり考えるようになり、また留年して、それでも社会人になり、死にそこないとして生き存えて、死ぬことも忘れたように生きもうけを楽しんでいます。  ぼくの半生は、いつ死んでもいいという覚悟ばかりの半生で、社会人不適応人間を楽しみながら生きてきたように思います。社会人不適応でしたけれど、自分には素直に、一生懸命に仕事もして、その分、自遊気ままに楽天仁を生きてきました。  古稀を越えて、五木さんの『余命』や嵐山さんの『死ぬための教養』を拾い読みして、空っぽの半生ですけれど、辿り直し、生き直しを、言葉あそびとして楽しんで、今さらながらですけれど、<死>について、もう少し考えてみようかという知る歓びを味じわってみようと念いはじめています。



   > 本然の面目坊の立ち姿ひと目見しより恋とこそなれ   一休


 合歓の花死ぬるまで観ん初心の恋   仁

 わが面目坊に念じて逢わん


 > 有漏路より無漏路にかえる一休み風吹かば吹け雨降らば降れ   一休



 おつき合い願えればHappyです。  菩薩心で、あなたのお考えや体験をご披露、交心願えると、もっともっとHappyです。

 よろしくお願いします。


★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 登録について ★ 。・。・゜♪゜・。・。★



 このメールマガジンに参加して、言葉あそびを楽しんでくださる人は、下記バックナンバーの『登録』欄より、メールアドレスを書き込んで、お申し込みください。  楽しみながら<余命>について考え、<余命>をあそぶ心を養成しましょう。

★★★ 『 「余命」について考える 』バックナンバー へどうぞ!!! ☆☆☆



---------------------------------------------------------------------- 「余命」について考える 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0001663094.html ----------------------------------------------------------------------

メルマガ購読・解除
 

2015年9月10日 (木)

『 居成りにもこころ交わる空に虹 』あそび心575交心st2603sq10

★ 。・。・゜♪゜・。・。★ あそび心575交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★




Asobikokoro575st2603sq10inarinimoko













★ あそび心575交心st2603

――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――

居成りにもこころ交わる空に虹

――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――



 青呼さん、

 深いお心配りの交心ありがとうございます。  そのお心の内の交々をおしはかることもできませんが光に満ちたお話しをお分かちくださりただただ感謝するばかりです。  お二人のシンクロする命の合力が人間力を高めていくのでしょうね。  念ずれば花開く。  念が愛の力だとぼくは思うようになりました。  ひとりの力よりふたりの力。

 愛の力には倍倍の法則があるような気がします。


 余命のことを描いていますので、お心配りを貰いましたけれど、ぼく自身の病はぼく自身はもう普通に回復していると信じているのですけれどね、連れ添いさんが再発を心配してくれて、車の運転もしない方がいいといいますので、連れ添いさんに気苦労をかけないように、連れ添いさんが同乗しない時は運転も差し控えているような事情です。脳梗塞や心臓発作での交通事故が多くなっていましたから。それに連れ添いさんも身体が不自由ですので遠出はなかなか難しいのです。鄙隠りがぼくらにはちょうどいい暮らしだと自足してもいます。時々思い立って遠出の旅もしてみますけれど、ツアーにしています。若い頃は車でのツアーが大好きで、リタイアしたら、キャンピングカーで全国行脚しようねと夢を見ていたのですけれどね・・・

 ぼくがままなりませんねと書いたのは、経済的にも身体的にも自由な行動ができないということで、その程度の状況です。  病は、ぼくも幸運で、大して障害も残さず回復できました。脳幹近くが壊死しはじめているので、4日間で障害の進行が止まらなければ危ないと主治医の先生も心配していました。入院した翌日からリハビリも開始したのですけれど、日に日にひどくなっていくので、連れ添いさんの心労はひどかったようです。  ぼくは楽天家だから主治医の先生や看護士さんと言葉あそびをして任天真、良寛さんの真似をしていました。四日目の夕方、障害の進行がストップしてくれました。連れ添いさんも先生もほっとしてくれました。そのほっとした様子で、ぼくも生き延びれたことを知りました。

 任天真、天にもらった命です。  せっかくもらった命ですから、生き存えた後の生き方を余命として大切に生きたいと、余命について、考えはじめています。  つくづく真似良寛さんを言葉あそびしてきてよかったと思っています。  今ここを大切に生きれば鄙隠りでも世界は開かれているということや鄙隠りくらいの生活でも、良寛さんを真似して生きれば充分に自足できることを覚えたからです。  ぼくにはそのくらいでちょうどいいんだとHappyになれました。


 青呼さん、本当に大切なお話しをお聞かせくださってありがとうございます。  良寛さんの縁でおこころを分かち合ってもらえたことに余命の生の豊かに味わい深く生きれ、感謝もし、愉しくも生きられる道が開かれていくことも信じることができるようになりました。  一期一会といいますけれど、一会のめぐり逢いでも、いのちもこころもシンクロし、生きる力と歓びになって愛の力になっていくことを信じることができるようになりました。


 言葉あそびの交心も楽しませてもらってHappyです。  これからもよろしくお願いします。


 居成りにもこころ交わる空に虹   旅仁

 念じ今ここ時空遊泳



★ 『 いつの日か見たし夕焼け越の海 』めぐり逢い良寛さんzt2301st23 への交心です。 ★★★



★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 青柳仁リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★


★★★  あそび心575交心sq0715『 花木槿憂き身も軽く運ばるゝ 』  へどうぞ!!! ★★★

 

★★★  TAO575交心ts2201『 酔芙蓉朝日に恋し身を燃やす 』 へどうぞ!!! ★★★

 

★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★